9月21
9月20
9月19
最近、自分のこと書いてるのが多いね〜
何か意味あるのぉ?と聞かれることがありますが
特に意図してそうしているのでもなく
毎日、書きたいことを書いている感じです
あえて言えば、なぜかそういう気持ちになる
佐藤康行と出会う前のことをふと、思う
だから書いてる
そんな理由からでしょうか
そして、その全てが
佐藤康行と出会うべくしてのことだったと
そう自分自身が思うので書いている
ということなんだと感じています
さて、以前にも前職の福祉関係の頃のできことを
何度か書いていますが
知的障がいの方の更生施設で働いていた頃
ある日、私はひどく落ち込んでいました
なぜか理由は忘れてしまいましたが
ものすごく心の中が悲しかった日
食事の前に皆さんを体育館に移動し
ご飯の準備が出来る方は一緒にやってもらい
それが難しい方は時間になるまで待ってもらう
そんな何もしないで過ごす時間の時でした
私たちスタッフといういわゆる支援する側の役割は
『見守り』というそこに皆んなと一緒にいて
何か起こらないか、ケガなどしないかなど
見守るために食事ができるまで一緒に待ちます
そのちょっとした時間にその出来事は起こりました
私は体育館の前方の壇の所に座り皆さんを見守っていました
すると一人の女の子が、いえいえ女の子と言っても
実際の年齢は当時40代半ば位だったと思います
私に近づいてきて「にょっ!」っと言って
自分の持っている人形のビニール靴を
私に差し出しました
にょっ、というのは、彼女は年齢は大人でしたが
知能的には、3才くらいで言葉を話すことは出来ません
彼女に「いいの?」と、私は聞くと
「にょ!!」っと、満面の笑顔で私にその靴を押し付けて
私が受け取ると、私の隣に寄り添うように座り
隣で満足そうにニヤニヤとはにかみ
ただただ側にいてくれました
私は何にも言わず、いつものように仕事をして
スタッフも誰も気づかずいつものように一日が
終わろうとしていましたが
彼女は気づいていたのです
私が、誰にも言わず、いつものように
一日を終えようと頑張っていたことを
「ありがと」と伝えると、彼女は嬉しそうに
腕が折れそうになるぐらい、ギューっと組んできました
実は、そのビニール靴は、彼女のこだわりの物であり
普段は、それがないとパニックになって頭を床に叩きつけ
泣きわめき、腕にしがみつき絶対離さなくなる
そんな、『問題』と言われる行動障がいが出てしまい
自宅では過ごすことが出来ず施設で暮らしていたのです
しかし彼女は、誰にも渡せないその大切な靴をかしてくれたのです
私を精一杯なぐさめようとして、そして人の役に立ったという
嬉しさのギュー、でした
私は、本当にこの時、障がい者の方を支えている仕事だと
勘違いも甚だしかったと心の底から申し訳なく思いました
この皆んなに支え支えられていたんだという事実に気がつきました
だから人という字はどちらか一方ではなく、お互いに寄りかかっている
そんな字になってるんだ、そう感じました
私は、たくさんのそういった方たちとの中で
やってあげる側、やってもらう側
それを千引していたものがなくなっていきました
その頃、福祉の世界は大きく変化をとげてきていました
ユニホームについても大きく二分化していました
スタッフと利用者がひと目でわかるように
スタッフが同じ決められたユニホームを着るスタイルから
同じ人として、生活者として、共に生きるものとして
スタッフもそれに見合った服装という形になっていきました
いわゆる私服です(施設で着替える場合もありますが)
もちろん支援、介護、ケアをするのにふさわしくない物は
当然着ませんが、私はスタッフでやってあげる側なのよ!
という気持ちが、服装を変えたことで自然となくなっていった
スタッフがいることも間違いありません
ただし、今でももちろんユニホーム重視しているところもあります
さまざまな考えのもと行われているので
それが悪いということでもありません
私は健常者、あなたは障がい者
私はまとも、あなたは病気
私は提供者、あなたは患者
これは当然そうなのかもしれませんが・・・
分離の心にならなければ形はなんでも・・・
でも少なからず、私の心には
やってあげる人という自分がそれまであったことは
間違いありません
その壁が崩れた時、その皆さんが
『やってあげる人』から
『私の友人』に、なったことは
これもまた間違いないことです
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何か意味あるのぉ?と聞かれることがありますが
特に意図してそうしているのでもなく
毎日、書きたいことを書いている感じです
あえて言えば、なぜかそういう気持ちになる
佐藤康行と出会う前のことをふと、思う
だから書いてる
そんな理由からでしょうか
そして、その全てが
佐藤康行と出会うべくしてのことだったと
そう自分自身が思うので書いている
ということなんだと感じています
さて、以前にも前職の福祉関係の頃のできことを
何度か書いていますが
知的障がいの方の更生施設で働いていた頃
ある日、私はひどく落ち込んでいました
なぜか理由は忘れてしまいましたが
ものすごく心の中が悲しかった日
食事の前に皆さんを体育館に移動し
ご飯の準備が出来る方は一緒にやってもらい
それが難しい方は時間になるまで待ってもらう
そんな何もしないで過ごす時間の時でした
私たちスタッフといういわゆる支援する側の役割は
『見守り』というそこに皆んなと一緒にいて
何か起こらないか、ケガなどしないかなど
見守るために食事ができるまで一緒に待ちます
そのちょっとした時間にその出来事は起こりました
私は体育館の前方の壇の所に座り皆さんを見守っていました
すると一人の女の子が、いえいえ女の子と言っても
実際の年齢は当時40代半ば位だったと思います
私に近づいてきて「にょっ!」っと言って
自分の持っている人形のビニール靴を
私に差し出しました
にょっ、というのは、彼女は年齢は大人でしたが
知能的には、3才くらいで言葉を話すことは出来ません
彼女に「いいの?」と、私は聞くと
「にょ!!」っと、満面の笑顔で私にその靴を押し付けて
私が受け取ると、私の隣に寄り添うように座り
隣で満足そうにニヤニヤとはにかみ
ただただ側にいてくれました
私は何にも言わず、いつものように仕事をして
スタッフも誰も気づかずいつものように一日が
終わろうとしていましたが
彼女は気づいていたのです
私が、誰にも言わず、いつものように
一日を終えようと頑張っていたことを
「ありがと」と伝えると、彼女は嬉しそうに
腕が折れそうになるぐらい、ギューっと組んできました
実は、そのビニール靴は、彼女のこだわりの物であり
普段は、それがないとパニックになって頭を床に叩きつけ
泣きわめき、腕にしがみつき絶対離さなくなる
そんな、『問題』と言われる行動障がいが出てしまい
自宅では過ごすことが出来ず施設で暮らしていたのです
しかし彼女は、誰にも渡せないその大切な靴をかしてくれたのです
私を精一杯なぐさめようとして、そして人の役に立ったという
嬉しさのギュー、でした
私は、本当にこの時、障がい者の方を支えている仕事だと
勘違いも甚だしかったと心の底から申し訳なく思いました
この皆んなに支え支えられていたんだという事実に気がつきました
だから人という字はどちらか一方ではなく、お互いに寄りかかっている
そんな字になってるんだ、そう感じました
私は、たくさんのそういった方たちとの中で
やってあげる側、やってもらう側
それを千引していたものがなくなっていきました
その頃、福祉の世界は大きく変化をとげてきていました
ユニホームについても大きく二分化していました
スタッフと利用者がひと目でわかるように
スタッフが同じ決められたユニホームを着るスタイルから
同じ人として、生活者として、共に生きるものとして
スタッフもそれに見合った服装という形になっていきました
いわゆる私服です(施設で着替える場合もありますが)
もちろん支援、介護、ケアをするのにふさわしくない物は
当然着ませんが、私はスタッフでやってあげる側なのよ!
という気持ちが、服装を変えたことで自然となくなっていった
スタッフがいることも間違いありません
ただし、今でももちろんユニホーム重視しているところもあります
さまざまな考えのもと行われているので
それが悪いということでもありません
私は健常者、あなたは障がい者
私はまとも、あなたは病気
私は提供者、あなたは患者
これは当然そうなのかもしれませんが・・・
分離の心にならなければ形はなんでも・・・
でも少なからず、私の心には
やってあげる人という自分がそれまであったことは
間違いありません
その壁が崩れた時、その皆さんが
『やってあげる人』から
『私の友人』に、なったことは
これもまた間違いないことです
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