~佐藤康行について~ たま日記!

たまちゃんの日記です^^; よかったら読んで下さい(^^)

佐藤康行の言葉

今日、佐藤康行のある言葉が
私の中を突き抜けた





私は、ハッと目が覚めたようだった
自分自身が突き抜けた感じだった




言葉だけで、真我に覚醒める
こういうことなのかもしれないと





そんなような言葉だった






その言葉は
いつか世にでるときがくるかもしれない



そして
世にでることはないかもしれない






アカシックレコードが書き換わる
静かに、もうすでに書き換わっている




大きく、しらぬまに書き換わっている
そんな思いが湧き上がる







佐藤康行が人類全ての人に届きますように!!

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つぎからつぎへと湧いてくる

奇跡の発見がつぎからつぎへと湧いてくる
佐藤康行練馬講演会から奇跡の発見が
つぎからつぎへと湧いてくる




佐藤康行が
なぜだかわからないけど
泣けてくる歌



佐藤康行の一番好きな歌
『長崎の鐘』




練馬講演会を共に支えてくれた
坂本晋二さん、長崎が実家だそう





『長崎の鐘』は、長崎医科大の放射線科の医師であった
永井隆博士が書いた自伝本「長崎の鐘」と
永井博士の被曝の半生を歌にしたものである




たま日記を読んでくれていた
坂本さんからのメッセージにビックリ!!

「げっ、永井博士は母の母(おばあちゃん)と
知り合いで
永井博士の奥さん(だったと思う)から
茶碗をもらったそうです」




えぇーーー!!!


ご自身もどれだけビックリしたか!!




そして、メッセージは更にビックリ!!!

「ずいぶん若くして亡くなられたかたですが
マザー・テレサがわざわざ、永井博士に
会いにいらっしゃった話を聞いて
びっくりしました」




えぇーーーーー!!!




ほんとに、凄い発見です!!



そして今日、坂本さんに電話で直接伺いました

おばあちゃんではなく
母の父(おじいちゃん)だった

緑さんが結婚前に一緒に働いてた
同じ職場
緑さん、おじいちゃんは教師だった


小さい頃、茶碗をもらったって聞いた
たしか茶碗だったと思うなぁ〜


永井さんがそんな凄い人だとは知らなくって!

白血球があがって、マザー・テレサが会いにきた
って聞いたことあって

そんな凄い人だとは知らなくって〜〜!





そう、おっしゃる坂本さん


それにしても、そんな繋がりが発見されるとは
それは、全て佐藤康行とのご縁によるもの


佐藤康行練馬講演会がなければ
坂本さんから、この話を聞くことは
なかったかもしれない





永井隆は、昭和天皇にお会いしたり
ローマ教皇の特使の枢機卿が見舞いに来たり
長崎名誉市民の称号を授けられたりしたそうです

永井隆、享年43歳





若くして亡くなったんですよね
41歳か43歳くらい






坂本さんが話す言葉には
本当に緑さん、永井さんが
生きていた証

もっと言えば
魂、真我は永遠の生命

今も生きておられる
私には、そう感じました

坂本さんの言葉が生きているかのように
転がって聞こえました




不思議です





坂本さんには、ブログにのせさせてもらうことを了承して頂いています
 


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今日のリクエスト

66年前の今日
7月1日



『長崎の鐘』が
発売された日




66年前の発売を記念して
『長崎の鐘』をおとどけします







長崎の鐘


こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る


召されて妻は 天国へ
別れて一人 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き 我が涙
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る


つぶやく雨の ミサの音
たたえる風の 神の歌
輝く胸の 十字架に
ほゝえむ海の 雲の色
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る


こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る


(永井隆博士詩)
「新しき 朝の光の さしそむる
荒野にひびけ 長崎の鐘」



藤山一郎が病床の永井隆博士のもとを訪れた時に
博士から贈られた短歌「新しき朝の光のさしそむる
荒野にひびけ長崎の鐘」を、その後、藤山一郎が
旋律をつけて歌っている




1951年5月1日
永井隆は、被曝による白血病が重篤化していき
長崎大学付属病院にて永眠

43歳でした



平和祈念式典会場に鳴り響いた「長崎の鐘」は
どんな言葉より雄弁に「平和の尊さ」を訴えているようでした
〜今この時&あの日あの時より抜粋〜





一番好きな歌
何でだかわからないけど・・・

だめだ、どうしても泣けてくる・・・・





託されてんだ・・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・嬉しいでしょ・・・・・




佐藤康行は
そう涙を浮かべながら言った 






私のいとこも放射線の医者です
そして、放射する量のミスがおきました

医療ミスと言われるほどの
大きなミスではなかったけれど

自分が間違えたわけではなかったけれど
医局長だったいとこは自分の責任と

自ら調べ、報告しました
そのことは、報道もされました

その時、自らを加害者と言い
そして、医師を辞めようとしていました

八方塞がりとなり
完全に道をうしなったかのように思えたとき

真我
ほんとうの自分に出会いました

いとこは、今現在も医師を続けています

佐藤康行との出会い
そのことによって生まれた意味が解明されてきています






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